第2回紀州鉄砲まつり

去る3月18日(土)、19日(日)和歌山城をお借りして第2回紀州鉄砲まつりが開催され、私も主催者側の和歌山の観光を考える百人委員会事務局スタッフとして参画させていただきました。  

そもそも1544年(天文13年)に和歌山県出身の津田監物算長という人が種子島から鉄砲の奥義を伝授されて持ち帰り、日本製の鉄砲をはじめて完成させ、雑賀衆が織田信長そして豊臣秀吉を相手に戦国の世に一大「共和国」を形成して戦いを挑んだ際に鉄砲が大きな役割を演じました。まさに和歌山が日本の鉄砲発祥の地ということで、この鉄砲を和歌山の観光の切り口として、恵まれた自然、歴史文化という観光資源とともに全国へ「和歌山の観光」を民間から発信させようと企画されたものです。県はもちろんのこと、舞台となる和歌山市、そして海南市、那賀郡6町、海草郡3町にも行政側からずいぶんとバックアップして下さいました。和歌山県下のみならず、近畿各円からもお客様が来てもらえるよう、JR和歌山駅、南海和歌山市駅、JR天王寺駅、そして南海難波駅でも、実行委員会メンバ−としてご尽力いただいた根来鉄砲隊雑賀鉄砲衆の皆様にも加わっていただいて、1万枚を超えるチラシの配布にも努め、2月以降各マスコミの皆様にも後援いただいて広報活動にも励みました。

 当日は全国から遠く種子島、会津をはじめ19の鉄砲隊の参加を得まして、まさしく日本一の鉄砲まつりとなったわけです。将来的には和歌山のいろんなまつりといっしょにさせていただいて、青森のねぷた祭りや阿波踊りのように、民活の、全国からお客様が来てもらえるような、和歌山の活性化に寄与できるようなまつりにできたらと思っております。  私も1月の末から鉄砲まつりの準備にかかりっきりになり、ずいぶん皆様にもご迷惑をおかけしたり、ご協賛のご無理を申し上げたりの毎日でありました。企画のむずかしさ、集客のための広報活動の必要性、そして何よりも和歌山県内の景気の冷え込みの中、まつりの開催の意義をご理解いただくことのむずかしさを痛感いたしまして、私も1スタッフとして反省させられる部分ばかりであります。  17日には早朝より前述の津田家の菩提寺である光恩寺の墓参にはじまりましたが、18,19日両日にわたってミニ観光ツア−として200台の観光タクシ−での和歌山市内観光、そして8台の大型バスで那賀郡観光、海南海草郡観光もやりましたし、またぶらくり丁の歩行者天国と和歌山城とのシャトルバス連絡も行いました。1月から公募させていただいたよろず市ではフリ−マ−ケット、物産展、企業PRブ−スと80ブ−ス以上出展いただきました。

 18日にはプレイベントとして、これからのふるさとのまつりは将来の和歌山を支える若い方にも盛り上がってもらいたいということで「ミュ−ジック2000ミレニアム」と称して6組のオムニバスライブ、そして和太鼓5団の郷土芸能をお楽しみいただき、夜には19鉄砲隊を迎えた歓迎レセプションパ−ティを行いました。  19日の本まつりでは和歌山市消防局の音楽隊の先導のもと、19鉄砲隊のパレ−ドを城内、けやき大通りの一部でさせていただき、砂の丸にて雨の中、各鉄砲隊がそれぞれの歴史に彩られた衣装、装束で豪快に鉄砲を打ち鳴らし、その合い間には伝統の和歌祭保存会の皆様が雑賀踊りで加わってくださいました。FM802のファンキ−カマロも登場し、フィナ−レの模擬合戦では豊臣秀吉の軍勢が紀州征伐に来たのを太田党、根来衆、そして雑賀軍が鉄砲で迎え撃つといった、スタントマンを入れた戦国合戦模様に観客の目をくぎ付けにしました。

 反省点として、まずは集客不足があげられます。殊に大阪では少しは名の知れたロックバンドであろうと和歌山においては観客を呼びにくいということです。また本まつりでは雨にたたられて来場者が予想を大いに下回りましたし、そのためよろず市も低調であったことは否めません。天候にも左右されない部分が必要であるし、各世代の趣味、嗜好というものをもっと考慮に入れるべきかもしれないし、限られた予算の中、効率的な広報活動がもっと必要であった気がします。  18日のプレイベントに和歌山城での鉄砲の要素がなかったのもお客様をとまどわせました。時期的なもの、そしてイベント内容、他のまつりとのジョイントの問題等、お客様の立場にも立って今後反省を加えながらも、好評をいただいた鉄砲演武、模擬合戦そしてミニ観光ツア−の特性を活かしていけたらと思います。

 また、今回のまつりにおいて、開会式の舞台から観客の皆様へ私は鉄砲まつり実行委員会の立場で以下の問題提起をさせていただきました。  「皆様もご承知のように、一昨日の朝刊に掲載されましたが、本日の鉄砲隊のパレ−ドのときに鉄砲をかついだ行進を警察庁から中止するよう事前のご指導がありました。行進時には鉄砲の中に鉄砲の弾や火薬はもちろんはいっておりません。ましてや19もの鉄砲隊にご参加いただいた日本一の鉄砲まつりを和歌山という古式鉄砲の日本における発祥の地で行わせていただいて、鉄砲を和歌山の観光のキ−ワ−ドに全国へ発信させていただく大きな意義を持つまつりであります。全国からお集まりいただいた鉄砲隊の皆様、本日早朝よりパレ−ドを楽しみにお越しいただいたお客様、そしてこの日のために一生懸命準備いただいたスタッフのことを考えると本当に遺憾なことであります。それなら行進の前に一本一本火薬が入っていないかチェックいただくなど方法はあったと思います。もっと和歌山の観光ピ−ア−ル、和歌山の活性化というねらい、趣旨をご理解いただき、寛容なご姿勢を警察庁に頂戴いたしたいとここに訴える次第であります。」  鉄砲をかついでいない鉄砲隊の行進なんてそもそもばかげた話じゃないでしょうか。銃刀法違反等の問題なのでしょうが、全国には鉄砲をかついで行進した例もありますし、死者が出ても毎年盛大に行われているだんじり祭りの例もあります。私は県議会議員時代、カレ−毒物混入事件の時に寸暇も惜しまず念には念を入れて慎重な捜査に明け暮れ、事態を進展させていただいた県警の懸命のご努力、ご尽力に敬服したものです。今回も小さなことかもしれませんが、その心意気をぜひともお示しいただきたかった。残念であります。

 なにはともあれ、第2回紀州鉄砲まつりは終わりました。これを契機にわれわれの和歌山の観光を考える百人委員会を社団法人化して裾野をひろげた形で各界、各層のご意見を聞かせていただき、ご協力を仰げるような組織作りを行って、県内の世論を盛り上げて行政当局、教育文化機関、観光産業界とともに、日本全国へ、そして世界へと和歌山県の観光における情報発信ステ−ションとして本会を機能させたいと思っております。その安定的な基盤の上でこの紀州鉄砲まつりの恒久的な開催と国民的まつりとしての定着化、観光大学誘致等の要望活動、和歌山県へ各地から楽に来てもらえるような陸海空の交通アクセス整備への提言、自然、歴史、文化とのふれあい体験ツア−の企画、観光を考える国際会議の招致、インタ−ネット等による情報発信を行ってまいりたいと思います。和歌山県には社団法人和歌山県観光連盟というものがありますが、これは主に市町村、市町村の観光協会、観光企業から構成される法人であります。私どもは広く民間の企業、個人の皆様にも構成メンバ−に入っていただいて、民間の活力でもって和歌山の観光振興、ひいては和歌山の活性化をはかっていくといった役割分担も成り立つのではなかろうかと思います。ぜひ皆様にもご理解いただき、ご賛同の上ご参加願えたらと思います。詳しくは私のところまでお問い合わせください。

 季節もこれから暖かくなって何かしらうきうきしてまいります。18日には和歌山城の西の丸広場のど真ん中にあります桜の木も朝にはつぼみであったのも夕方にはいくつかすでに開花しておりました。  これからも可能な限り和歌山県各地へ参らせていただいて、観光についてそして将来の和歌山県の進むべき方向について勉強してまいりたいと思います。どうか今後ともよろしくご指導,ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。


編集を終って

 第2号の発行が一ヶ月も遅れてしまいました。1月末には岩出町民総合体育館のステ−ジで初めてカラオケを熱唱というか絶叫、2月は友人ががんばっている福祉共同作業所の絵画展のお手伝い,自身の確定申告,政治団体の収支報告、そして3月は鉄砲まつり、はたまた何年ぶりかのテニスト−ナメント予選のシングルス出場するも惨敗!等等、相変わらずバタバタしながらも元気な毎日です。昨年末友人の大きなお力をいただきましてホ−ムペ−ジも開設いたしました。ぜひご意見、ご要望ください。お待ち申し上げております。今回は第2回紀州鉄砲まつり顛末記に終始しましたが、ぜひとも次号もよろしくご一読くださいますようお願い申し上げます。


    平成12年3月